新潟中越地震

今まで、この手の話題を取り上げるのは避けてきたのですが、どうしても我慢できません。今回ばかりは許してください。

10/27の朝。行方不明になっていた母子3人の車が、土砂に埋まった状態で発見された記事が朝刊に載っていました。私は会社へ向かう電車の中でそれを読み、つり革を握りしめて泣きました。
同日の夕刻。夕刊を見ると、母子3人が奇跡の生還、と書かれています。私は帰宅時の電車の中でそれを読み、嬉しくて手すりを握りしめて泣きました。
ところが帰宅してテレビを見ると、助かったのは2歳の男の子だけと報じています。私は大ショックを受け、箸を握りしめて泣きました。

ニュースでは、2歳の男の子が助かったことで、「奇跡の生還」、「偶然が重なった幸運」などと連呼していました。が、私はそれらの報道にひどく心が痛み、その夜は眠れませんでした。

確かに、あの状態で2歳の子が助かったのは奇跡かもしれません。助かって良かったと思います。それは当たり前です。
しかし、3人の帰りを待っていた家族は、3人のうち1人でも2人でもいいから助かって欲しい、なんて考えていたはずがありません。3人が全員無事に帰ってくることを願っていたのです。

また、偶然とか幸運という言葉を使うのであれば、それはあの日、あの時、何らかの偶然で、車があと1分早く現場を通り過ぎていたら(あるいは逆に1分遅れていたら)、3人とも助かったはずで、それを幸運と言うのだと思います。